2013年6月25日火曜日

思い

農業への思いです、少し長いですがもしよかったら読んでみてください。



 長野県南佐久郡佐久穂町にある織座農園で2012年4月から同年11月まで研修をしました。
 出身は茨城で、大学卒業後16年間東京でサラリーマンをしていました。農業をしたいと思いつつ、なかなか上がらなかった重い腰を上げた大きな理由が二つあります。
 一つは、年齢。ふと気がつくとあと20年も経たないで60歳になること。会社員をしていた私にとっては大きな節目となる年齢。それまで会社があるのか? 自分は会社にいるのか? そしてなにより体はいつまで元気に動くのだろうか? とても強く危機感を感じました。
 もう一つは、東日本大震災です。その日は、お台場の国際展示場にいました。建物が揺れて天井から鉄骨が落ちてきたり、一部液状化も起きていました。ニュースで見た方もいるかもし
れませんが、私は東海道を歩く帰宅難民の一人でした。歩きながら、ここは自分にとっ
て住む土地ではないと強く思いました。

 3月から研修を始めて半年くらいたち、夏が勝負な作業のおかげもあり、だいぶ太めだった体はちょっと太めに変わりました。
 研修中に考えたことがあります。持続可能な農業・生活とは、自分的にはどのようなところが落としどころか?
 先輩研修生夫婦が、ある作業中「竹を使うと資材的には持続可能なのだけれども、私たちが持続可能じゃない(笑)」と……。石油原料の資材を使わない代わりに竹を使うと、収穫が
とても大変だったそうです。
 化石燃料をまったく使わない生活は、とりあえず今の段階では、私には出来ません。また、国内産の原材料だけでの生活もできません。例えば、着る服がなくなってしまうからです。エネルギー同様、国内産原料だけの服は0%に限りなく近い。
 石油由来の資材をなるべく使用したくない。でも一人で刈っても刈っても押し寄せてくる緑の洪水をかき分けながら育て、出荷がどこまでできるのだろうか? マルチ(雑草を生やさないようにするための資材)一本の石油使用量と、その畝を草から守る機械と自分のエネルギーと、時間を換算してどっちが効率的なのか。
 効率と持続可能のバランスは、どうとるのか? 持続可能というけど、それは何年スパンで考えるのか?5年、10年、50年、100年、500年?
 地球は未来の人たちからの借り物というけど、畑という考え方自体が自然な形ではないから、狩猟採取の縄文時代がベスト? と考えすぎの、頭でっかちになっている自分がいます。
 「半農半X」という言葉があります。自分で食べる作物は自分で作り、お金は別な手段で稼ぐという意味合いです。私は、それをもじって「半農半農業」ということを目指しています。「農」と「農業」は、たまたま同じ文字を使っているけど、違うことだと思っています。
  ここでの「農」という言葉は、私の中では経済活動とはまた違う生きるための活動、まさに生活と捉えています。味噌は東京に住んでいたときから作っていたので、原材料も自分で作りたい。醤油も作りたい。和綿も作って布を織りたい。自分で使う食器も木工で作りたい。エネルギーの自給もしたい、と思いもたくさんです。

 どこまでできるかわかりませんが、一歩一歩進んでいきたいと思っています。
 

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